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随想録
臨床泌尿器科編集後記 vol.75. No7 ,2021
私が最初に海外の英文雑誌に投稿したのは症例報告です(J Urol, 159:1294, 1998)。当時はオンライン投稿などないため、投稿も査読の返事も郵送でした。論文修正と再投稿を行い、最後に論文受理の手紙をもらった時は、開封する手が震えました。その感触・感動は今でも忘れません。しかし最近は、IJUのように別雑誌として若手に症例報告の投稿機会を与えてくれる雑誌はあるのですが、多くの海外雑誌では認めていません。
泌尿器科の英文雑誌の中は、基礎研究の投稿さえも受け付けなくなった雑誌があり、若い先生が投稿先の選択に苦慮しているようです。かつてimpact factorを気にするあまり、泌尿器科医が絶対に読まないだろう雑誌へ投稿をしている若い先生を見て、論文執筆の意義をはき違えているのではないかと思いました。雑誌が自ら苦労して行った研究を表現する場でなく、業績をあげるための手段になっているようにさえ思えました。しかし現実問題として、基礎研究の成果を投稿できる泌尿器科の雑誌が減少する現状には、困ったものです。泌尿器科の雑誌が、基礎研究を軽視し雑誌の客観的評価のみを気にしていることの現れのような気がしてなりません。
臨床研究に関しても以前と比べて大きく様変わりしました。前向き大規模無作為化比較試験が質の高い論文とされ、研究デザインや統計処理についても評価対象となり、莫大なお金もかかります。アカデミズムが置き去りにされ、利益を重視した薬剤の有効性に関する大規模無作為比較試験が超一流雑誌に載り、それがエビデンスとなりガイドラインが作られています。一方、若い先生が各施設で行う独創性の高い研究が、症例数が少ないとか後向き研究というだけで、評価が低くなる傾向があります。
医師にとっての研究や論文執筆の意義は、臨床上重要な洞察力や思考能力を養うことだと思います。症例報告であれば徹底的にその症例と向き合い1例1例を大切する感性を磨くことにあると思います。基礎研究は、結果のでない実験を試行錯誤しながら組み立てていくことだと思います。論文執筆するためには多くの論文を読み自ずと勉強しますし、査読者とのやり取りの中で多面的なものの見方ができるようになります。そしてそういった積み重ねは、必ず臨床医としての高い技量を身に着けることにつながると思います。時代の変革により医学雑誌の形態は随分かわりましたが、医師にとっての論文執筆の意義に関しては昔も今も変わらないことだと信じています。