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講座紹介

講座の歴史

泌尿器科学講座創設の沿革

明治以来、本邦における泌尿器科学は皮膚泌尿器科学(あるいは皮膚梅毒学)として、すなわち皮膚科学に付随するものとして扱われてきた。皮膚科学は梅毒学を包含し、この研究の進歩と相俟って性病学に範囲を広げ、更にこれと密接な関係にある泌尿器科学まで包含してしまった。しかし皮膚科と泌尿器科は扱う臓器も手技も大きく異なり、両者は早晩、分離する運命にあった。

1924(大正13)年、九州帝国大学を皮切りに全国教育機関における皮膚泌尿器科学講座は次々と分離し、泌尿器科学講座が独立していった。そして1968(昭和43)年3月、本邦で唯一皮膚泌尿器科学講座を標榜していた本学から、ついに泌尿器科学講座が独立した。こうして現在の泌尿器科学講座が誕生したのである。

 

初代教授 黒田一秀  1968〜1973(昭和43〜48)年

講座の歴史初代教授に北海道大学助教授だった新進気鋭の黒田が着任したが、新講座のスタートは容易なものではなかった。医師は教授を含めてわずか3人、診察室は皮膚科と小児科の一部が充てられ、教授室や研究室も講義室や倉庫などを改修したものであった。1969(昭和44)年に初めての泌尿器科入局者を迎えると、その後は徐々に人員を増やし、それにつれて診療のみならず研究面も軌道に乗り出した。各種手術法の検討、蛍光抗体法による細胞診の研究、走査電顕による結石構造の研究、男性不妊症の研究、更には生化学教室と共同で結石成因の研究も行った。研究の成果は福島県内の学会ではもちろん、当時数少ない国際泌尿器科学会員として活躍した黒田の下、世界にも発信された。

1973(昭和48)年、黒田が北海道大学教授に任命されたことに伴い、第二代教授・白岩康夫にバトンが引き継がれた。

 

第二代教授 白岩康夫  1973〜1995(昭和48〜平成7)年

講座の歴史福島県出身で弘前大学助教授だった白岩が教授に着任すると、医局員の数は更に増えていった。講座の隆盛と共に診療範囲も拡大し、1984(昭和59)年には講座として初めて腎移植を施行した。進行癌に対する手術や尿路結石に対する内視鏡手術、前立腺肥大症に対する開放手術にも果敢に取り組んだ。一方、研究面においても、神経因性膀胱の基礎実験や臨床検討、尿路生殖器腫瘍や尿路感染症の研究など多岐に渡った。また、1981(昭和55)年に日本泌尿器科学会東部総会を、1992(平成4)年に第五回老人泌尿器科研究会を、1994(平成6)年には第一回日本神経因性膀胱学会を主催した。先代教授の築いた地盤を基にして、高度な実績を残した時代であったと言える。

 

第三代教授 山口脩  1996〜2011(平成8〜23)年

講座の歴史当時助教授だった山口が教授に就任すると、臨床・基礎研究とも更なる発展を遂げた。臨床においては、泌尿器悪性腫瘍をはじめ、小児、女性骨盤内臓器脱、下部尿路機能障害など幅広い分野を得意とした。1999年には本邦三番目となる脳死腎移植を成功させ、腎不全の外科治療である腎移植の技術を確立した。また、腹腔鏡手術の教育にも力を入れ、福島県内に泌尿器腹腔鏡手術を定着させた。現在も行われている前立腺癌に対する腹腔鏡下前立腺全摘除術や生体腎移植ドナーに対する腹腔鏡下腎摘除術はこの時代に確立された。一方、学術面においては、下部尿路機能障害の病態や治療の新しい概念を世界に提唱し続けた。更には多くの臨床試験を指導したり、治療薬の開発に貢献するなど、国際的にこの分野を牽引した。

 

第四代教授 小島祥敬  2012(平成24)年〜

2012(平成24)年5月、第四代教授に名古屋市立大学大学院・腎泌尿器科学分野の講師だった小島祥敬が着任した。伝統と新しさを融合させることで、泌尿器科学講座の更なる飛躍が期待される。

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